つわりでママが入院!?パパ視点の妊娠期間の奮闘体験

我が家では生まれた後の育児よりも、ママの悪阻の時期が一番大変でした。

ママは毎日号泣ですし、パパもノイローゼ気味になりました。

この記事はこれからパパになる人はもちろん、周りに妊娠中の女性がいる方に読んでほしい内容です。

そして、電車やバスでマタニティマークを見かけたら、お腹がまだ大きくなくても優しい気持ちで席を譲ってあげてもらえると嬉しいです。

同じよう苦しむ女性がいたら、寄り添って支えて貰えると、きっと彼女は楽になると思います。

「匂いつわり」は大敵!ママは買い物に行けない!?

パパ視点で一番キツかったのは、「匂いつわり」です。

何それ?って思いませんでしたか?

僕自身ママがつわりで苦しむまでは、吐き気が大変くらいにしかつわりの知識がありませんでした。

具体的に何が辛かったのか、我が家の体験をお書きします。

「食べ物」と匂いづわり

「食べづわり」だけの時には、毎日ミニおにぎりを握ってママに渡していました。これは自分が出来ることの見通しが立っているので楽です。

匂いつわりが始まると、ママは「冷蔵庫」の匂いがダメになりました。家の冷蔵庫を開けることがまず出来ません。

僕は料理ができるので、食べたいものは作ってあげるし、飲みたいものも冷蔵庫から取ってあげることも問題ありません。

では、何がキツイのかというと、買い物です。

冷蔵庫の匂いがダメ→コンビニやスーパーにママは入店できなくなりました。

更にママが食べることが出来るものは、次々と変わっていきました。

グレープフルーツが食べたいので買い溜めすると、3日後には一口も食べなくなります。パパが一人で大量のグレープフルーツを食べていきました。

そう、その時々でママが食べることが出来るものを、全てパパ一人で買いに行くのです。

深夜ママが突然起きて体調不良に苦しんでいる時には、近くのコンビニに食べることが出来るものを買いに行きました。

この時期は1〜2時間の睡眠を2〜3回細切れにとって、日中はこれまで通りの生活です・終わりが見えない時間が僕にはとても長く感じられました。

「乗り物」と匂いづわり

ママの匂いづわりは、交通機関でも発生します。

電車やバスに乗るたびに、匂いの変化で体調が著しく崩れるのです。

そして、この時期に電車で席を譲ってもらえることはほとんどありません。

お腹がまだ小さく目立たないので、妊娠していることに気づいてもらえないのです。

電車で座席に座っている人の多くは、スマホに夢中でバッグについたマタニティマークに気付きません。

気づいても、まだお腹が小さいし大丈夫だろう、と思われているのかもしれません。

でも、我が家のママは一番辛かったつわりの時期に気づいてもらえず、楽になった後に気遣って貰えることが増えたと話していました。

これは僕自身、知らなかったことで、これ以降マタニティマークに気づけば席を必ず譲ると決めています。

ママの通勤が苦しいので、複数回の乗り換え+立ちっぱなしよりは楽だろうと、毎朝ママの職場近くまで車で送っていきました。自家用車の匂いも気持ち悪くなるようですが。。。

もちろん、帰りも可能な限り車で迎えに行きました。

先述したとおり睡眠が十分ではない状態で、車がすれ違うのに苦労する細い道を数十分運転することは精神的に少しずつ擦り減っていく感じでした。

ママが一番苦しんでいるのに、自分の弱い部分は見せられないと努力はしましたが、限界は近づいていました。

ママの精神的な辛さとドクターストップ

ママは毎日、家で泣いていました。

仕事の繁忙期に穴を開ける訳にはいかないというプレッシャーと、思うように身体が動かず役割を果たせていないという自責の念が襲ったのです。

肉体的にも勿論、限界を過ぎていたと思います。

毎日、両手の指で数えられないほど嘔吐し、自分の唾液が気管に入り、「溺れて」夜中に何度も目を覚まし、妊娠前には知覚できなかったほど些細な匂いの変化で気持ち悪くなるのです。

僕は何度もママに「休職しよう」と話しました。

ママの身体とお腹の赤ちゃんが何よりも大事だから、心配だからと。

ママは元から自分よりも仕事を優先する性格なため、「ママが一番大事だよ」と伝え続けるのが自分の役割だと信じていました。

しかし、仕事に対する思いからママは決して僕の呼びかけに答えてはくれませんでした。キツイ、辛いと泣きながら。

結局、産婦人科の先生にドクターストップを受け、当日急遽入院+休職することになりました。

入院生活とパパに出来ること

ママが入院したことで、僕は正直安心しました。

仕事で無理をして倒れる心配がなくなり、食事の管理なども病院に任せられるからです。

でも、ママはホッとした気持ちはあっても、不安で胸がいっぱいだろうと思いました。

真面目な仕事人間で、寂しがり屋のママのために出来ることはなんだろうと自問しました。

毎日の面会(お見舞い)

まずシンプルに病院には毎日、夕方に顔を出すようにしました。

二人とも九州出身の僕たち夫婦は、お腹の子の祖父母がお見舞いに来れない状況でした。

気持ちも弱くなりそうな時にずっと一人だったら辛いでしょうから、毎日面会に行って洗濯物を交換しました。

食べ物や飲み物も看護師さんの許可のもと差し入れしていました。

ママの上司に電話

ママの同意のもと、ママの上司に状況を説明するために電話をしました。

本当は本人が説明するべきだと思います。でも、ママの悪い部分ですが、自分でキツイって言えないのです。

無理して頑張りすぎて、ボロボロになってそれでも職場のことが気になって、申し訳なくって仕方ないのです。

ママと事前に何時間も打ち合わせをして、原稿を作成して、上司にお電話しました。

とても優しくお話を聞いてくれて、他部門の方を回してくれ、ママはゆっくり入院できることになりました。

毎日、ママの実家に電話

ママとの面会を終えると、病院を出てすぐ実家にお電話していました。

自分がママの両親だったら、とても心配するだろうと思い始めたことでした。

勿論、ママのご両親がとても優しい方達で、関係が良好だったから出来たことです。

また、僕の実家もママとお腹の子のことをとても心配していたので、数日に一度は報告をしていました。

ママが気持ちを落ち着けるまでは表に立って、負担を減らしたかったのです。

終わりに:つわりと入院から学んだこと

ママは1ヶ月程度の入院と数週間の自宅療養の後、職場復帰することが出来ました。

この頃にはつわりの症状は少し軽くなり、ママにも余裕が戻ってきました。

この大変だったつわり ですが、僕にとっては財産にもなったと思います。

パパとなる心の準備が出来た

男性は父親としての自覚が芽生えるまで時間がかかるとよく聞きます。

僕はこのつわりで苦しんだママに寄り添った経験から、覚悟出来ていたと振り返って思います。

一緒に壁を一つ乗り越えた経験は自信にもなり、子供が生まれた後も一緒に頑張っていこう!と自然と思うことが出来ました。

妊娠中の辛さは人それぞれだと知った

親戚のお姉ちゃんはつわりが軽かったそうで、僕は恥ずかしながらママがここまで苦しむとは思ってもいませんでした。

バスで立っているお腹がまだ小さな妊婦さんを見かけても、多分すぐに意識の外に出ていたと思います。

送り迎えがどうしても出来ず、ママが電車で帰ってくる時もありました。

そんな時、席を譲ってくださる方は少なかったと聞きました。

それは他人事でなく、僕もこの経験がなければ席を譲らない人間だったと思います。

自分の知り合いが、もしくは自分自身が妊娠期間中に健康的に過ごすことが出来たとしても、辛くて毎日泣いている妊婦さんも大変いるんです。

この当たり前のことに気づくことが出来て、本当に良かったと思います。

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