大人の発達障害、大企業を退職しました!診断を受けるまでの実体験

雑記

私は社会人一年目に不適応を起こし、発達障害の診断を受けました。そして、その後も仕事に馴染めず数年後に退職しました。

学生時代までは順調でした。

勉強が得意だった私は、一年間浪人を経て慶應義塾大学に合格し、有名企業にも就職できました(退職してしまいましたが。。。)

でも、学生時代に大きな失敗してしまって、発達障害に早く気づきたかった。

もしかして、自分って発達障害じゃないかな?と思って悩む方がいらしたら、私は早めに心療内科に行くことをお勧めします。

私の実体験や苦しみを、反面教師にしていただけたら幸いです。

仕事のつまずきと判明した苦手なこと

私は、大企業の総合職で就職しました。

入社後、数年は地方の営業所に赴任するのですが、全く仕事が捌けませんでした。

今となっては、発達障害の特性なのだと受け止めています。

でも、当時は学生生活に表面化しなかった苦手の正体がわかっておらず、自分がただただ無能で価値のない人間に感じられました。

苦手なこと❶マルチタスク

営業所では、作業中にドンドン電話がなります。

マルチタスクができない私は、電話が終わる度にそれまで何をやっていたのか思い出せない状況になりました。

結果、後から未処理の仕事が発見されて問題になったことも何度もありました。

皆さんに迷惑をかけていることが申し訳なくて仕方ありません。

しかし、それでも次々と飛び込んでくる仕事に意識が向かい、大切なやるべきことが手が付かない、又は先に進まないことがありました。

苦手なこと❷臨機応変な対応

予想外の事態に対処することも非常に苦手です。

赴任先が荒っぽいと言われる地域だったこともありますが、

営業所に街宣車を回して、営業できないようにしてやるぞ!

と言われた時にはパニックになりました。

融通がきかず、些細なことで冷静さを失い、ミスを繰り返します。

最初は優しかった上司や先輩からの叱咤も熱を帯びていきました。

僕の仕事に対して、常に注意を向けていただくのですが、それがまたプレッシャーに感じてしまい、自分が情けなくて仕方ありません。

一度だけ「殺すぞ」

と言わせてしまったこともあります。

本当に自分が全て悪いのです。

それでも、上司の顔を見るだけで吐き気がして、朝職場に向かうのが怖くて仕方がありませんでした。

追い込まれていく過程で辛く感じたこと

仕事が上手くこなせず、壁にぶつかった僕ですが、特に辛かったことは次の二つです。

辛く感じたこと❶同期との差

営業所への配属は、高卒の同期と一緒でした。

新入社員パパ
新入社員パパ

彼が困ったら、年上の自分が支えてあげよう!

と最初は意気込んでいたのに、彼のほうが早く仕事を覚え、職場に馴染んでいくのは辛く悲しいものでした。

年上の人間として格好つけたい気持ちがあったことが恥ずかしくなりました。

また、同期で集まる機会に出かけると、周囲がとても輝いて見えました。

彼らが経験を積み、任せれる仕事が責任あるものに変わっていく中、自分は次々入社する新入社員に抜かされていくのだろうと感じました。

辛く感じたこと❷簡単で当たり前のことができない自分

「なんでこんな簡単なことも出来ないんだ!なんでなんだ!」

毎日叱責されるうちに、頭が真っ白になりました。

「黙っていないで、なんとか言ったらどうなんだ!」

口を動かそうとしても、言葉が出てこないようになっていきました。

やっと振り絞るようにして口から出た言葉は

「ごめんなさい」

これがまた火に油を注ぎます。

「謝ってほしいわけじゃないんだ!謝れば許されるとか思っていないよな!」

上司の横に立って、固まって動けない時間が増えていきました。

上司の発言内容に間違いはありません。

簡単な仕事を新入社員に任せているのに、全く捌けない。それどころか周囲に迷惑をかけるようなミスもする。

道を歩くと

「今車道に飛び出せば、仕事に行かなくていい」

「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」

ばかりが頭に媚び立ついて、まともに思考もできなくなりました。

週末は逃げるように、繁華街で飲み歩き、貯金もできません。

笑顔の作り方もわからなくなりました。

鏡の前で微笑もうとしても、引きつった顔しか作れないのです。

転機は産業医のススメで受診した心療内科

そんな僕を見かねて誰かが人事に言ってくれたのか、産業医面談を受けないか声をかけられました。

当時の僕は勧められるまま、産業医と話し、心療内科にいき、発達障害の診断を受けます。

自分が出来ないことについて理由ができて安心してしまう気持ち。そのことを情けなく思う気持ち。

自分が「障害者」、「精神障害者」として医療の立場から診断を受けたことについて、すぐには受容できない部分もありました。

これから僕は発達障害について、勉強を深める一方で、何年も自分が生きる道に悩み苦しむことになります。

それでも自分が無能で価値のない人間だと思って、ギリギリ生きている状態よりは楽でした。

詳しくは別途記事にいたします。

自分の不得意な道に進むと不幸になる

発達障害は「得意不得意の差が激しい」ことが特徴です。

僕の場合は、勉強がたまたま人よりも得意で、学生時代には診断に至りませんでした。

でも、もし自分が発達障害というものを持っていることが分かっていれば、大企業の総合職、それも入社後数年は現場で下積みをするタイプの企業には勤めなかったでしょう。

そして、自分の能力を活かして、専門性を高める道を選ぶことができたかもしれません。

もしも、この記事を読んだあなたが受診を悩んでいるなら、僕は受診してみることをおすすめします。

自分で心療内科の門を叩くことに葛藤を持つ方が多くいることも知っています。僕も、会社の後押しがなければ未だに受診すらせず苦しんでいたかもしれません。

でも、僕は今、幸せです。

障害者枠で働き、収入は前職の同期のおそらく数分の一でしょうが、愛する妻と子供に囲まれて笑顔で生きています。

この記事を読んだあなたが「生きづらさ」を感じ悩んでいるなら、少し勇気を持ってほしいです。

死ぬことばかり考えてしまっていた僕でも幸せになれたのです。

きっと大丈夫です。

もし同様のお悩みを抱えて、苦しい方がいらっしゃるなら、僕でいいならお話しさせてください。

ブログのコメントでも、twitterのリプライでも構いません。

僕の忘れてしまいたい過去が、誰かに少しでもお役に立てれば幸いです。

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